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他力本願 池田郁英2016.08
『他力本願』
「仏様が私の手を動かしてくれるんだ」
極度な近視で、板木に眼鏡をすりつけながら無心に小刀を動かす棟方志功。
板画を彫り続けているのは棟方ではなく、棟方の身体を借りた仏様だと言うのです。まるで浄土への往生を喜び、自らが菩薩になったような創作現場です。
これが真の意味の「他力本願」なのでしょうか。
芸術家やアスリート、科学者で名人と言われる人たちも似たような境地を語ります。
親鸞聖人は「教行信証」の中で、この「他力本願」について「他力というは如来の本願力なり」と述べ
ています。
月影が選ぶことなく全てを照らし出すように、仏の本願力は遍く作用しており、万物を包んでいる。
私たちはただそれを信心し報恩の心を維持しさえすれば、仏の本願力、私達から見れば全くの他力に導かれ往生出来る…自力、すなわち自らの計らいは必要ないと教えます。
親鸞の生きた当時、民衆の日常からすれば、その日すら生きるのがやっとで、仏典の学問どころか、往生のための難行苦行なんて論外。
ましてや、殺戮に明け暮れる武士階級には、自らを救えるよすがは皆無だったでしょう。
親鸞の教えは、まさに「地獄に仏」。
でも、非常に深すぎて微妙な教義ですよね。
自分は何にもしなくても、向こうから良いことがやって来ると曲解しそうになります。
現にこの曲解、誤用は日常的に起きています。
当時の日本政府閣僚が日本の軍備のあり方に触れ、「今の世界は
他力本願では生きていけない」と発言―1968年のこと。
また、ある有名企業が「他力本願から抜け出そう」というコピー
で全国紙広告を掲載した―2002年のこと。
いずれも浄土真宗各派から抗議を受けて配慮の足らなさを謝罪しています。
「わだばゴッホになる」
棟方は、少年時代にゴッホの絵画に感動し芸術家を目指すことを決意。
上京後、必死に創作活動を展開。
帝展、その他の展覧会に応募するも落選が続き、失意の日々が続いた。
そして戦時中、疎開先の富山県で浄土真宗の教義に触れ、ようやく独自の境地と作風を完成させたという。
棟方志功は後に語っています…
「自分の持っている一つの自力の世界」の小ささ、無力さに目覚め、そんな自分から
生まれる作品ほど小さいものはないと初めて気づいた…
私はここで考え込んでしまいます。
ゴッホを必死で学び、模倣した苦しい修行時代の棟方は「自力」そのものではなかったのか。
「他力本願」の境地に辿りついたのは、その前段の「自力」のおかげではないのか。
「他力本願」なる教義も、その教えで自らを律するのなら「自力」と言えないか。
私は、ますますカオスの世界に絡めとられ、混乱してしまいます。
やはり私は救いを求め続ける凡夫です……か。
取締役社長 池田 郁英
(写真はすべてインターネットフリー画像集より)