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以和貴(いわき) 池田 郁英2017.04
『以和貴(いわき)』
一曰。以和為貴。無忤為宗。
「一に曰(い)わく、和を以(も)って貴し(とうとし)となし、
忤う(さからう)こと無きを宗(むね)とせよ。」
聖徳太子が制定したとされる「17条憲法」の記述が「日本書記」にあります。
現代の憲法のような法律ではなく、当時の官僚や貴族に対する倫理規定の意味合いが強く、儒教や仏教の精神が色濃く含まれていると言われます。
上記の第1条と他の条とを読み合わせると、聖徳太子がこの「17条憲法」でおっしゃりたかったのは・・・
「誰しも完全無欠であり得ない、だから意見が違えば謙虚に耳を傾け、
私利私欲に走らず、派閥や党派をつくらず、みだりに争わず、広く
意見を求め、和をもって公正な議論をしなさい。
そこからしか、道理にかなった万民のための結論は出てこない。」
一方、ユダヤ、キリスト、イスラム教圏の諸外国ではどうか?
これら世界的な宗教はルーツが一緒と言われますが、それは聖典の一部、「旧約聖書」を共有しているからです。
モーゼは、奴隷として囚われていたヘブライ人(古代イスラエル人、ユダヤ人)を連れて、エジプトから脱出します。紀元前13世紀頃のことで、その数、40万とも60万とも言われます。
そして、神によって「約束された地」カナン(パレスチナ)に向けてシナイ半島をさまよい、40年にも及ぶ苦難の旅を続けます。
その旅の途中、シナイ山においてモーゼは、唯一神ヤハウェから「十戒」を授かります。
これらは「旧約聖書」に「出エジプト記」としと記述され、映画「十戒」の原作にもなりました。
「十戒」は唯一神から人へ与えられた「戒め」であり、議論の余地は全くありません。そして人はその「戒め」を守ることを神に約束し、契約を結びます。
この契約を破れば、自分たちにとんでもない災いが罰として与えられ、国が滅び民族が地獄に落ちてしまいます。
彼らにとっては、神と契約を結ぶ(信者になる)こと、そしてその契約を守ることが全てです。
近年、ビジネス界のグローバル化が進んで、契約社会が急速に日本にも流入しています。私たちは戸惑うことしばしばです・・・
欧米では契約書が全てで、違反行為があればただちにペナルティ、即裁判なんて当たり前。
そこでは「徒然草」で展開される・・・「月に叢雲(むらくも)」、まん丸の完璧なお月様より、しぐれ雨の叢雲(むらくも)にわずか隠れている方がより情緒がある・・・なんて言う美学は排除されます。
私たちの社会には
「あうんの呼吸で」「周りの空気を読んで」
「あまり物事をはっきり言うのは相手に失礼だ」
「カドをたてずに穏やかに」
「ちょっと酒を飲みながら丸く収めよう」
なんて言う風潮が、いまだにあります。
今は影を潜めましたが、「寄り合い」や「談合」で物事を決める習慣もありました。
日本にこんな文化的な風土を創った原点はあの聖徳太子であり、「17条憲法」の「以和貴」の精神にそのルーツがある、なんて不遜なことを言う人もいます。
もちろん、先述のように聖徳太子の本意はそんなところにはありません。
ただ、唯一神との「契約」で始まった人々と、「以和貴」で始まった人々のどうにもならないルーツの違いは素直に認識しておく必要があります。
取締役社長
池田 郁英
(写真はインターネット画像検索より)