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西方浄土 池田郁英2016.07
『西方浄土』
「ここから西方に向かって十万憶の仏土を過ぎたところに極楽浄土があり、
そこでは現に阿弥陀仏が仏法を説いている・・・」
仏教では、仏が住まいする「西方浄土(極楽浄土)」から十万憶の仏土を過ぎたこちら側に私たち「人」が住んでいることになります。
私たちが良く目にする仏画に菩薩の来迎図があります。菩薩が雲に乗って私たちを救済するためにお見えになる・・・
確かに菩薩は天から降りて来られるように見えます。
しかし例えが悪いかも知れませんが、地対地ミサイルのように発射点と着地点は水平です。
仏教では、「仏」は西方浄土に存在し、「人」との位置関係は「水平」です。
一方、神社にはしめ縄が張られ、そこから御幣(ごへい)が下がっています。
しめ縄は雲、御幣は雷光、鈴は雷鳴(神の言葉)を意味しているとも言われます。
すなわち天上から、神あるいは神の言葉が雲の合間を通って地上に降臨してくることを象徴しています。
モーゼがシナイ山にて雷鳴と共に授かった十戒は、天の唯一神からでした。
キリスト教にしても神道にしても神は「天」に存在し、「人」との位置関係は「垂直」です。
クリスチャンは天を仰ぎ十字を切る。
仏教徒は姿勢を正し、顔を水平に保ちながら仏様に手を合わせる。
神棚は部屋の天井近くに祀るが、仏壇は床の間の横に設置する。
日本家屋は、障子を透して庭から外光を取り入れ、床タタミと天井をバウンドさせながら奥へ奥へと水平に光を取り込む…屋根や天井からの採光はあまり好まない。そして建物も高さよりも横への広がりを重視する。
キリスト教の大聖堂や古代神道の神殿は神に近づこうと可能な限り高くした。
高い位置に設置されたステンドグラスは、信者の頭上に神からの救いと御言葉をもたらす。
教会のキリスト像は、垂直方向から光を当てる。
寺院の仏像は横方向からの光で表情を出す。
日本では天頂の太陽より、西に傾く夕陽に感性を、ヨーロッパでは天頂の太陽や星に感性を動かす。
こうして観ると、彼我の宗教観の違い、そして「垂直」と「水平」意識の違いが私たちの文化や美意識に知らず知らずのうちに微妙で面白い影響を与えていると言えるでしょう。
取締役社長 池田 郁英
(すべてインターネットのフリー画像)